
先日、とある大学の先生が書かれた「褒めて伸ばすことの功罪」というテーマのエッセイを読みました。大学3年生の教育実習生たちが、3時間の自由討論を通して「褒める」とは何かを深く考え抜いたという内容で、それがあまりにも素晴らしく、読んでいて胸を打たれました。
というのも、それはまさに、いま子育てをしている私たち親の誰もが、毎日のように直面している問いと重なるものだったからです。
「褒める」って、簡単なようで難しい
たとえば、子どもが100点を取ったとき、逆上がりができたとき、リレーで1位になったとき。成果や結果がわかりやすいからこそ、つい「すごいね!」「えらいね!」と反射的に褒めてしまいがちです。
わが家の娘もこの春から小学生になり、保育園時代のように一日の様子を先生から直接聞くことがなくなった分、本人の口から出てくる「先生にはなまるもらった!」という言葉にすぐ「よかったね〜!」と褒めてしまいます。
でも、ふと立ち止まって考えることがあります
本当に、結果だけを見て褒めていいんだろうか?子どもは、それで本当に嬉しいのだろうか?
「もともと得意なことを褒められても、むなしかった」
先述のエッセイの中で、ある学生さんがこう語っていた場面がありました。
「私は、小さい頃からピアノを習っていたから、たいていの曲は弾けた。合唱会の伴奏をしたとき、先生にすごく褒められたけど、それがすごく嫌だった。他の子も一生懸命弾いていたし、自分は経験があっただけなのに。褒めるなら、辞めたい気持ちを乗り越えて続けてきたことを褒めて欲しかった。」
この言葉を読んで、私自身、ハッとしました。そうか、「できたこと」ではなく、「頑張ったこと」に光を当ててほしかったんだ、と。そしてそれって、子どもだけじゃなく、私たち大人も同じなんですよね。
大人だって「見ていてくれた」が嬉しい
たとえば、仕事で時短勤務なのに残業してしまったとき。上司から「残業ですね」とだけ言われると、事情も努力も見てもらえなかった気がして、正直つらい。でも、
「今日は大変でしたね。早く帰れるように、資料のまとめ方も工夫してましたよね」
と声をかけてもらえたら、すごく救われる。
ちゃんと見ていてくれた。プロセスをわかってくれていた。その実感だけで、また頑張ろうって思える。
「できたこと」より「頑張ったこと」を褒めたい
子どもにだって、そういう褒め方ができる親でありたいと思います。
「字がきれいに書けたね」ではなく、
「昨日より丁寧に書こうとしてたね」
「失敗しても投げ出さなかったね」
そんな言葉が自然に出てくるように、子どもを日々、ちゃんと見る。それがきっと、「認める」ということなんですよね。
「褒めて伸ばす」とは、光を当てる場所の選び方
エッセイの中で、学生たちは話し合いを重ねて、こんな答えにたどり着いていました。
褒めて伸ばすって、「足りないところ」「間違っていること」を、頑張って克服しようとする姿に光を当てて、その背中をそっと押すことなんじゃないか?それが、「生きる力」を育てることなんじゃないか?
すごい言葉の力。その言葉を読んで、私は涙が出そうになりました。そうなんです。「褒める」って、ただ気持ちよくさせる言葉じゃないんですよね。未来へ伸びていくための光のようなもの。だからこそ、どこにその光を当てるか、そこに、愛情と覚悟がいるんですね。

決意
- 「できたね」より「がんばったね」を、ちゃんと伝えられる母でいたい。
- 褒めることは、育てること。
- 今日も、子どもの小さな努力を、見つけられるように目を凝らしていこうと思います。