手品の種明かしってその手品を知らなくても誰でもみんな楽しめますよね。
今回は、『言語化するための小説思考』(小川哲)を読んだ感想です。

小説をあまり読まない私でも面白く読めたのは、この本が手品の種明かし的な「実際はこんな感じなのね~」を経験できたからだと思います。
本質を学ぶのが面白くなった、30代後半の読書
最近、「本質を学ぶ」ことが面白くて、30代後半のいまさら、岩波ジュニア新書でキリスト教入門やカント、フランス思想などを読み返しています。学生時代とはまったく違う引っかかり方をして、まぁまぁ分からないなりに考える時間が楽しいなと。

そんな流れで本屋さんに行くことも増えました。そこで、ラランドの西田さんがYouTubeで紹介していた小川哲さんのこの本を手に取りました。
普段、小説を読まない私が、『言語化するための小説思考』という小説を冠にするタイトルを手にするのは、いささか勇気がいりましたが、最後まで読んで思ったことをまとめます。
大人の自由研究みたいな一冊
最初に思ったのは、「これは大人の自由研究みたいな本だな」ということ。
内容全般が、「小説家の僕が、考えている頭の中を全部言語にしてみました」という感じで、小説を書くための必勝テクニック理論を教えるというより、小説を書くときの思考の過程そのものを、ほーらって頭のなか広げて差し出してくるみたいな本です。
中身をさらけ出すという意味で、冒頭に手品の種明かしみたいって連想しました。

ゴリゴリの言語化マッチョサピエンスが本質を掘り下げる
著者の職業がたまたま小説家だったから、「小説とは何か?」がこの本の研究対象になっているけれど、この人はもし別の職業だったとしても同じように考え続けて、言語化していた気がする。
例えば、パイロットだったとしても、「…空とは?」「飛ぶって何を信じている行為なんだろう?」とか、コックピットで延々と考えていたんじゃないかと思う。
著者の本を初めて読んだので、ほんとうはそんな作家じゃないかもですけど、直感的に、この人絶対に理屈で考えるタイプだな、ゴリゴリ言語化マッチョサピエンスだな、と感じました。
ゆえに、この本の面白さの本質は、小説の書き方そのものよりも、「掲げた問いに対して思考を掘り続ける人の頭の中を覗けること」にある気がしました。
多くの人からすると、掘り下げ続けられるというのが、ある種の秀でた才能ではないでしょうか。
こういう人は、なぜなぜ分析が得意で、PDCAギュンギュン回すタイプで。でも企業にお勤めしたことがないらしい。
読み手不在のアウトプットをしていた話
読みながら、私はすぐに自分の仕事のことを連想しておりました。
以前、部署の会議で「仕事の手順書」を発表したことがあります。
私は前提条件から例外処理まで、1から10までこと細かく全部テキストにまとめました。正直、「ここまで書いたら褒められるだろう」と思ってホクホクで当日持っていきました。
でも結果は真逆で、「前提が長すぎる」「もっと簡潔にしないと手順書として使えない」と多方面からダメ出しをくらいました。(唯一上司だけは褒めてくれた)
私はダメ出ししてきた人たちに「じゃあ、この仕事やってみろよ」と内心つばを吐きながら腹を立ててました。全部のパターンを知っていないと、ミスしたときにリカバリーできないじゃないか、と。
でもこの本を読んで、あれは完全に「読み手を想定していない自己表現」だったんだなと、腑に落ちました。
確かに、部署異動した先で前任者から渡された手順書を印刷したら、2時間ほどの作業に30ページもあったら嫌すぎる。要約して作り直す。
価値を決めるのは、書き手ではなく読み手
前述の経験があるので、まえがきにあった 「あらゆる文章表現に共通しているのは、その文章に価値があるかどうかを決めるのが『他者』という点である」 という一文も、静かにみぞおちに効いてきます。
私はずっと、「ちゃんとやっている私」を評価してほしくて、内容の正しさや網羅性を優先してきたんですけれど。
でもそれは、「自分が仕事をするための言語」であって、「誰かに渡すための言語」ではなかったと大反省です。(全然ビジネス書じゃないです、私は勝手に仕事に結びつけてるだけです)
弱腰に見える慎重さの正体
もうひとつ印象的だったのは、著者が何度も「自分ができているかは置いておいて…」的な予防線タイムを炸裂することです。
思考回路をここまで徹底的に言語化しているのに、なお断定しない。
その姿勢に、小説という文学の奥深さ、正解のない禅問答のような世界なんだな、と感じる一方で、「ずいぶん弱腰だなぁ」と思ったのも正直なところです。
無敵モードを抜けたあとの「知らないを知る」
でも、「ずいぶん弱腰だなぁ」という印象は、読み進めるうちに別の意味を持ち始めました。
社会人2、3年目の無敵モードを抜けたあと、「私って、全然知らないことばかりじゃない?」と一度、がっつり絶望した経験。
成長曲線の踊り場で、知らないことがずっと広がっていて、知らないことを自覚した経験って多くの人が経験していると思います。
もしかすると、この本に漂う慎重さは、「知らないことを知らない」状態を抜けて、「知らないことを知っている」場所に立っている人の態度なのかもしれません。
将棋のように一手ずつ進める書き方
それから小説の書き方についての話も意外でした。
私は、小説はあらかじめ大きなプロットがあって、構成を固めて、エピソードを組み立てていくものだと思っていました。
でも著者は、将棋のように一手ずつ進める書き方をするタイプだと言います。
この一文を書いたら、次に見える景色を考える。先を完全には決めず、今までに書いてあることで展開していくそう。なんやそれ普通に天才やな、と思ったけど、結婚生活や子育ても同じで、出たとこ勝負は創作も生活も一緒の部分もありなんだなと知りました。
就活生、読もう
この本はどういう層がターゲットなんだろう。
私的には強いて言えば、この本は就活生が読んだらいい本だと思います。
理由は、作家と読者の関係性と、就活生と企業の構図が、よく似ていると感じたからです。
どんなに時間をかけて書いたとしても、その文章に価値があるかどうかを決めるのは受け手です。それは小説も、エントリーシートも同じです。
情報を網羅していれば評価されるわけではない。いかに自分を売り込むか、エピソードをどう汎用化するかが問われます。
だから、エントリーシート落ちまくり就活生は読んでみたらいいかもよ、と思いました。
と、おすすめを書いてみたのですが、筆者は就職して働いたことない作家さんだそうで、だから、就活生にすすめるのはどうなんだろう。自分ですすめておきながらモゴモゴしちゃう。
やっぱり小説は苦手だと再認識
この本を読んで、私が小説が苦手な理由も思い出しました。そして、やっぱり小説は苦手だ!と再認識しました。
小説は、最終的に、感情がどこに連れていかれるか分からない怖さがあります。だから帯のコメントを大いに参考にして買います。泣けた!とか、笑える!的な煽りを真に受けます。
でも一方で帯を信じすぎてほんとうの良さがわかららず残念な気持ちになることも。
帯に泣ける!って書いてあったら、泣けるシーンはどこだい?って泣けるシーンを自分から探してしまって、純粋な読書体験が出来ずに答え合わせ読書になりがち。
そんで、最後まで泣けなかったら、せっかく読んだのに勿体ないなと思うし、自分の感性って変なのかな?とか残念な気持ちにもなるし。
こういう細かなストレスを、映画とかアニメとか漫画なら耐えられるけど、小説だと自分でページをめくって能動的に読み進めなきゃいけないからしんどい。
友達が『西の魔女が死んだ』を「めっちゃ泣けるから!」とすすめてくれたから読んでみたけど、どこで泣くんやろ?と泣き所を探すように読んでる自分に気付いて「これは泣くために読んでる!」と半分で読むのをやめた。友達との感想合戦は、途中までのストーリーでなんとか雰囲気をあわせた記憶。
小説は、最終的に感情のゴールがどうなるかわからないから、まるで吊り橋を延々と歩かされるような気がして、それが苦手。
だから私は実用書が好きなんですが、でも、実用書にも弱点があって、実用書は何と言っても記憶に残らないんですよね。
「へぇー、ほぉー、勉強になった」と言って満足して本を閉じると内容が飛んですぐ忘れる。
一方で、感情が揺さぶられた小説の物語は、意外と身体に残っているもんですね。
没になるアイデアも、引き出しに残る
「便所サンダル」のくだりも良かったですよね。
読めました?検見川(けみがわ)ですよ、あの地名。
便所サンダルのストーリーを、一度は書き上げ、それから没になっていく。まるで、せっかくコーヒーをドリップしたのに飲まない、みたいな。
まるごとリアルな過程まで含めて見せてくれるところが気に入りました。よかったです。
また、使われなかったアイデアも引き出しに残るというのは、私もこの本を読みながら、仕事、結婚生活、子育てといろいろ連想したので、とても腑に落ちました。
それがいつか何かにつながるかもしれないし、繋がらないでこのまま忘れるかもしれない。つまり、そういうことなんだなと思いました。
『言語化するための小説思考』は、考え続けてしまう人の脳みその思考回路を覗く、小説好きでなくても読める、強いていうなら就活生に役立ちそうな本でした。
ブルーロック読みたくなる魔法
最後に、ブルーロック。読んだことないけど、そうなの?笑
この本を読み終わった人は、ブルーロックを読んでみたくなる魔法をかけれます。
最後までお読みいただきありがとうございました。
