
2歳の息子について。
最近ふと、あれ?イヤイヤ期減ってないか?と我に返ることがあります。
(もっと遊びたいから)お風呂やだ、とか、(おやつ食べたいから)ごはんやだ、とか。
息子の口から出てくるイヤイヤの主張がなんだか「ごく普通の理由」になってきました。
ちょっと前までは、チョコは「食べると減るのがイヤ涙」とか、エレベーターは「ドアが閉まるのがイヤ涙」みたいな、
どう受け止めればいいのかわからない理不尽イヤイヤに振り回される日常だったというのに。
子供の成長段階
改めて考えると、子どもの成長には、いくつかの段階がありますよね。
- 2歳のイヤイヤ期と呼ばれる「第1次反抗期」
- 小学1年前後の「中間反抗期」
- 小学高学年〜思春期の「第2次反抗期」
そして、イヤイヤ期と呼ばれる「第1次反抗期」にも細かなグラデーションがあるように思います。
イヤイヤ期のグラデーション
まず、「かい!(もう1回)」が止まらない。これは終わりなき無限ループ期です。
永遠に続く、いないいないばあの強要。
同じことを、何度でも、何十回でも楽しめるという才能が爆発します。
そんな「かい!(もう1回)」の無限地獄を抜けると、次にやってくるのが理不尽の極み。
理不尽を鍋でぐつぐつ煮詰めて、最終的にイヤイヤを煮こごりにしたようなカオス期です。
そして今。
ここまでの成長の成果(?)を刈り取るかのように、きちんと理由を添えて主張してくる理由ありイヤイヤ期到来。
え?イヤイヤ期、抜けた?
少し前まで、完全にイヤイヤ界隈の人で、なるべく刺激しないように、常にイヤイヤの気配を察知して回避するという攻防の毎日を送っていました。
そんな日々を抜けて、少し落ち着いてきたように思う今。
この一年間(1歳後半〜2歳後半)を振り返ると、児童館や公園で出会った保育士さんたちの声かけが、どれもプロすぎて、神だったなと…。
「この本持ってるでしょ!」
初めて行った児童館で、本棚から息子が選んだのは、おべんとうバス、はらぺこあおむし。家にもあるお気に入りの絵本でした。
は?児童館には山のように絵本があるのによりによってそれ?
つい「家にあるから、ほかの読んでみる?」と言ってしまったのですが、そこに児童館の保育士さんが近づいてきて来て、さらっと一言。
「おうちのと同じ本かな?見てみようか?」
私は思わず「いや、同じ本持ってるので…」と口から出そうになったんですが、
保育士さんの一言で、息子の表情が変わったのを見て「あ、こういう時はこれが正解なのか」と学びました。
児童館には山のように絵本があるから、せっかくなら家にない絵本を読めばいいのにと思ったわけですが、
そうだよな、児童館で家にある絵本を読んでも別に構わんよな、と自分の固定観念を変えることができました。
だって、私もビュッフェで、気づいたら安定のフライドポテトを添える人間ですもん。
たくさん選択肢があるのに、なぜかいつものやつを選んでしまう気持ち、分からなくもない。
イヤイヤ期総評
振り返ってみると、イヤイヤ期、お金で解決したことも多かったな、と思います。
泣かれるくらいなら……と、つい折れてしまう。
厳しくできないことも多くて「子どもに寄り添いながら」なんていう理想には、ほど遠かった気がします。
とくに、小1の娘とは5歳差ということもあり、イヤイヤ期のあいだは、娘に我慢してもらうことも多かったので、実際「お姉ちゃんやめる」と言われて、我が家から【お姉ちゃん】という属性は消えました。
イヤイヤ期が落ち着いてきた今、振り返ると、2歳という小さな体で、一生懸命に自己主張していたんだなと、可愛くも思えます。
とはいえ。
当事者は、本当に大変な時期。
でも俯瞰して見ていくと、「今日はエレベーターのボタン押せなくても泣かなかったな」とか、「長靴じゃなくても登園できたな」とか、小さな成長の瞬間が、ちゃんとあって。
そのたびに、嬉しいような、ちょっと寂しいような、なんとも言えない気持ちになります。親心ってやつかな。
悲劇とみるか喜劇とみるか
「人生はクローズアップで見れば悲劇だが、ロングショットで見れば喜劇である」
チャップリンの言葉ですが、たとえば、羊飼いが必死で羊を追いかけて転んだら、本人にとっては悲劇。でも遠くから見ている人にとっては喜劇。

ありがとう、イヤイヤ期。
このブログでは、ワーママの日常や、その時々に考えていることを、答えを出さないまま書いています。
正解じゃない話ばかりですが、どこか重なる部分があれば嬉しいです。